スーパーマーケットでのお客さま (^^)2017年09月21日 20時08分

私が食べていける職に就くことが出来ず、やむなく地獄のダブルワークをしていた時のこと。

とあるスーパーマーケットで夕方から閉店までレジのアルバイトをしていました。

ある女性が子供さんと一緒に買い物に来ました。

2人で買い物をしてレジの所まで来ると女性はスッと離れて子供が一人でレジを通り、お金も子供が払います。

お母さんであるだろうその女性は、サッカー台の辺りをウロウロして待っていて、子供さんがお金を払い終わってサッカー台へ行くと、一緒に買った物を袋に入れて一緒に帰って行きます。

私はそれを見て 『 あぁ、お母さんは何か心の病を持っていて、他人と接したくないのかな? 』 と思いました。

子供さんは小学生の高学年くらいに見えました。

その親子は定期的に買い物にみえて、その形態を続けていましたがある時から、お母さんも一緒にレジを通るようになりました。

お金は子供さんが払うけれど、とりあえずお母さんも一緒にレジを通るようになりました。

私は 『 ふむふむ、私がやさしいから (?ホンマカ?) 人と接する気持ちが出てきたのかな?( ここは自分に都合よく自惚れておこう… ) 』 と思っていました。

そして日を重ねるにつれ、ある日から ( 子供と2人でレジは通るけれど ) お母さんがお金を払うようになりました。

そしてその内、とうとうお母さんは一人で買い物に来て、一人でお金を払い、一人で買った物を袋に入れて、一人で帰って行くようになりました。 バンザーイ !! (?)

元々、そのお母さんに何があったのか詳しいことはわからないし、心の病であったのかどうかもわからないけれど、でも普通とは違う形態であったものが普通の状態になった。

あのお母さんの状態は、私が初めてその方を見た時より、明らかに良くなっているように思いました。

私は、もう今ではそのスーパーマーケットで働いておりませんが、買い物には行きます。

すると、そのお母さんとちょくちょく一緒になります。

そのお母さんは、今でも一人で買い物をしています。

私は( 勝手に ) 内心、安堵しています。

『 私が居なくなっても、悪くなっていない (^^) 一人でちゃんと買い物していらっしゃる!!』 ダカラ、ビョウキカドウカ、ワカラナイッチュウノ!

そして自分には 『 どこまで自惚れとるんじゃい!!』 と。 (^^)v

生まれ変わりかどうかは分からないけれど…2017年09月15日 17時21分

私の姉 (あね子)の子供は、息子が一人。
「 まさかお姉ちゃんが一人っ子の親になるとはね~ 」 と言い続けて
12年が経った頃、姉は2人目を授かりました。

私は秘かに…
『 あぁ、おじいさんがお浄土から贈ってきたな… 』 と思っていました。

この私の勝手な想像は、後に確信へと変わるのです。

生前、とても姉をかわいがっていた(母方の)祖父 。
「 あね子は一人っ子か。 あね子は一人っ子か… 」 と、
姉の子供が一人なのをいつも心配していた祖父。

『 はは~ん。おじいさん、向こうからやったね~ (^ ^)v 』

その私の姪にあたる姉の二人目の娘 (めい子)はすくすくと育ち、社会人になった頃、
叔父・叔母である兄や私、そして母親であるあね子にある疑問が浮かんできました。

『 めい子って…誰似??』

「めい子の父親、母親であるあね子、のどちらにも似てないよね…。
めい子の叔父・叔母であるあね子の兄妹の私達 (兄と私)にも似てないし…。
隔世遺伝で、めい子にとってのおじいちゃん、おばあちゃんには?
(すなわち私達兄妹の親。 或いは姉の旦那の親…?)」

「 … … 誰にも似てないことない??」

その疑問は頭の隅に残ったまま数年が過ぎた頃、私は突然ひらめきました!

『 わかった!!おばあちゃんに似ている!!』

私の母方の祖母です。めい子から言うと曾祖母。

そう、めい子を授けてくれた母方の祖父 ( ←決めつけている ) の妻である祖母です。

残念ながら孫の私達はこの世でお目にかかることは出来ませんでしたが、写真のおばあさまに似ている!!

『 そうだった…。 祖父は最愛の妻を早くに亡くし、とても寂しがっていたと聞いた。
その祖父が授けてくれた子だから…祖父の最愛の妻である、おばあさまに似ているのだ!!
やっぱりめい子は、おじいさんがあちらから贈ってくれたに違いない!!』 
確信!!

そして、つい最近もうひとつ、この私の推測を決定付ける事柄に気づきました!

なんと、その祖母の法名の一文字が、偶然にもめい子の名前に入っているのです。

めい子の名前は、あね子と私で決めたので、祖母の法名から頂いたという事はないのです。

祖父の最愛の妻である祖母の法名の一文字が偶然にも…。

もう、決まりですね (⌒▽⌒) おじいちゃん。

祖父が、とってもかわいがっていた姉の、一人っ子問題を解決してくれた!!

もちろんあね子は念願の女の子を授かり、とっても可愛がっております。

因みに、あね子の名前 (本名は)、その祖母の俗名から頂いたものでした。
( 結婚前に母親を亡くした私たちの母が、初めての子であるあね子に自分の母親の名前をもらって
つけたとのことでした )

カラスちゃん2017年01月29日 19時27分

直前投稿から3ヶ月経ってるって…(_ _)~アカンネ…

今日はやっと…このお話 (^^)

勤務先近辺を縄張りとしている?カラスちゃんにどうも私は気に入られているようで…。
そのカラスちゃんは、勤務先契約の駐車場に私がクルマで出勤すると正面から
「オハヨー!2日間来なかったねー!!」(私は土日休み)的に私のクルマに向かって滑空してきます。
その翌朝は早々と駐車場にいて、私を待ってて?くれました。(^^;)

ある朝、私が駐車場にクルマで入っていくと…。
『 ん!?あの子、私の駐車スペースの前で何やってるの?? 』
そのカラスちゃん、なんと…私の駐車スペースの前でお食事してるんです…。
『 ええぇー…汗 』
いつものやり方で停めると(バック駐車)、カラスちゃんを轢いてしまうか…いやいやカラスちゃんは逃げると思うけど、お食事を踏み潰してしまうのは必至で…。
私がクルマで定位置に行っても、一生懸命骨付きチキンのお肉を食べていて、どいてくれる様子無し…。
なんとかカラスちゃんを轢かないように、同時にお食事も踏まないように切り返し切り返し停めようとしたけれど、これは無理だからクルマから降りてカラスちゃんにどいてもらおうと思ったらカラスちゃん、私が停められないことに気づいたようで…。
『 なに?わたし邪魔? 』 的に2~3回見回して、チキンを2本ともクチバシでくわえて飛んでいってくれました。(^^;)フーッ…ヨカッタ
そして1日勤務して、帰宅のため駐車場へ行くと…。
なんと今度は私の駐車スペースの隣のスペースの前にタマゴの殻が散乱しているのです。
『 …!あの子、あの後またここで食事したの?! 』
…しかし私のクルマの前を外して、邪魔にならないように隣のスペースで…。
(因みに隣のスペースはどなたも借りていない空きスペースです)
なんとも頭のよろしい…。
かわいいですわ (^^;)

今も時々だけど、顔見せに現れてくれるカラスちゃん。
鳥インフルエンザに罹ったりしないように、元気で過ごしてほしいです (^^)

「表裏一体」2016年10月31日 00時35分

初日のブログのタイトルを 『光と影』 で公開致しましたが、2日目にして変更致しました
(^^;)
その初日のタイトルであった 『光と影』 に因んだ記事をすでに用意してしまっておりましたので、今日はそれを公開致します。

「光と影は表裏一体」
私はこの 「表裏一体」 という言葉の意味を誤解していたことに気づきました。

ウイスキーに炭酸水を加えた 『ハイボール』
私はハイボールがこの度流行るずっと以前から、ウイスキーは水割りではなくハイボールで頂いていました。
「水割りでいい?」 「あ、私ハイボールで」 「?」 と言う顔をされてしまうくらい、ハイボールがマイナーな時代の頃からでした。

ところがこの度、ハイボールが一躍有名になったことにより 「ハイボールが好き」 と言うと 「ハイ、ハイ」 的にミーハー扱いされるようになり、それを不快に感じた私は 「ハイボールが好き」 と人様の前で言うのをやめてしまいました。
…が、ハイボールが流行ったことによりスーパーなどでは、炭酸水のお値段が下がったのです。
ずいぶんお値打ちに購入できるようになり、これは私にとって良いことでした。

この現象を私は 『やっぱりこの世は表裏一体だ』 と思っていたのです。
しかし、これは間違いでした。
この現象は表裏一体とは言わない。
私は、物事は必ず良い面と悪い面が共存していると思っており、それを 『表裏一体と言う』 と思っていたのです。

が、それは 「表裏一体 」ではなく 「裏腹」 と言うのが正しいのですね。
「裏腹」 は辞書で調べると “ 背と腹。裏と表。背中合わせ。隣り合わせの関係。相反すること ” とあります。
“ 裏と表 ” とあるけれども、この “ 裏と表 ” は 『表裏一体』 のこととは違う。

「表裏一体」 は辞書では “ 相反する二つものが大もとではひとつであること。二つのものの関係が密接で切り離せないこと ”
「表裏一体」 とはつまり、相反するものだけれどもそれは相反するものでセットというか、言ってみれば片一方が存在しない場合、相反するもう片一方のものも存在しないということ。

例えば光と影は、光がなければ影は出来ない。逆に言うと、影があるところには必ず光があるということ。
十円玉の裏表。表がなければ裏は存在しない。十円玉自体が存在しないということ。
切り離して存在できるものは 「一体」 ではない。

『表裏一体』 で言う 「表と裏」 は切り離せない関係なので、今回ハイボールが流行ったことと炭酸水の値段が下がった関係は、ハイボールが流行ったから (多分) 炭酸水の値段が下がったのだろうけれども、ハイボールが流行らなければ炭酸水の値段は絶対に下がらないということでは無いですものね。

正しくは 「不快な思いをしたけれど、それとは裏腹に炭酸水が安く買えるようになった」
或いは 「ハイボールが流行ったことにより、副産物として炭酸水の値段が下がった」 と言うべきです。

論点はズレますがもっと言うと、ハイボールが流行って不快な思いをしたのは私の主観ですから、相反した結果だったと思うのは私にとってのことであり、ハイボールが流行っても不快な思いをしていない方々にとっては相反した結果でもなんでもない。(「裏腹」ですらない)

今回、あることがきっかけで 「表裏一体」 に対する誤解に気づくことが出来ました。
しかし、かつて他にも 「確信犯」 や 「役不足」 など、意味を誤解していた言葉があったように、誤解したままの言葉がまだ私の中にあるかもしれません。

初めてのブログ2016年10月29日 20時25分

初めまして。ブログを始めることに致しました。
あれも書きたい、これも書きたいと思っておりましたが、
いざ…となるとなんだか頭が真っ白に…(^^;) 
ぼちぼち慣れていきたいと思っております。
末永くご愛顧のほど宜しくお願い致します。
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