「表裏一体」2016年10月31日 00時35分

初日のブログのタイトルを 『光と影』 で公開致しましたが、2日目にして変更致しました
(^^;)
その初日のタイトルであった 『光と影』 に因んだ記事をすでに用意してしまっておりましたので、今日はそれを公開致します。

「光と影は表裏一体」
私はこの 「表裏一体」 という言葉の意味を誤解していたことに気づきました。

ウイスキーに炭酸水を加えた 『ハイボール』
私はハイボールがこの度流行るずっと以前から、ウイスキーは水割りではなくハイボールで頂いていました。
「水割りでいい?」 「あ、私ハイボールで」 「?」 と言う顔をされてしまうくらい、ハイボールがマイナーな時代の頃からでした。

ところがこの度、ハイボールが一躍有名になったことにより 「ハイボールが好き」 と言うと 「ハイ、ハイ」 的にミーハー扱いされるようになり、それを不快に感じた私は 「ハイボールが好き」 と人様の前で言うのをやめてしまいました。
…が、ハイボールが流行ったことによりスーパーなどでは、炭酸水のお値段が下がったのです。
ずいぶんお値打ちに購入できるようになり、これは私にとって良いことでした。

この現象を私は 『やっぱりこの世は表裏一体だ』 と思っていたのです。
しかし、これは間違いでした。
この現象は表裏一体とは言わない。
私は、物事は必ず良い面と悪い面が共存していると思っており、それを 『表裏一体と言う』 と思っていたのです。

が、それは 「表裏一体 」ではなく 「裏腹」 と言うのが正しいのですね。
「裏腹」 は辞書で調べると “ 背と腹。裏と表。背中合わせ。隣り合わせの関係。相反すること ” とあります。
“ 裏と表 ” とあるけれども、この “ 裏と表 ” は 『表裏一体』 のこととは違う。

「表裏一体」 は辞書では “ 相反する二つものが大もとではひとつであること。二つのものの関係が密接で切り離せないこと ”
「表裏一体」 とはつまり、相反するものだけれどもそれは相反するものでセットというか、言ってみれば片一方が存在しない場合、相反するもう片一方のものも存在しないということ。

例えば光と影は、光がなければ影は出来ない。逆に言うと、影があるところには必ず光があるということ。
十円玉の裏表。表がなければ裏は存在しない。十円玉自体が存在しないということ。
切り離して存在できるものは 「一体」 ではない。

『表裏一体』 で言う 「表と裏」 は切り離せない関係なので、今回ハイボールが流行ったことと炭酸水の値段が下がった関係は、ハイボールが流行ったから (多分) 炭酸水の値段が下がったのだろうけれども、ハイボールが流行らなければ炭酸水の値段は絶対に下がらないということでは無いですものね。

正しくは 「不快な思いをしたけれど、それとは裏腹に炭酸水が安く買えるようになった」
或いは 「ハイボールが流行ったことにより、副産物として炭酸水の値段が下がった」 と言うべきです。

論点はズレますがもっと言うと、ハイボールが流行って不快な思いをしたのは私の主観ですから、相反した結果だったと思うのは私にとってのことであり、ハイボールが流行っても不快な思いをしていない方々にとっては相反した結果でもなんでもない。(「裏腹」ですらない)

今回、あることがきっかけで 「表裏一体」 に対する誤解に気づくことが出来ました。
しかし、かつて他にも 「確信犯」 や 「役不足」 など、意味を誤解していた言葉があったように、誤解したままの言葉がまだ私の中にあるかもしれません。
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